「空気はタダだ」などという言い方がありますが、息を吸って吐くこと、それは普段生活する私たちにとって、あまりにも「当たり前のこと」になってしまっています。しかし、東京大気汚染公害訴訟の原告たちが11年の裁判で訴え続けたのは、この「当たり前のこと」が出来なくなってしまったことに対する救済、そして「きれいな青空を子どもたちに残したい」という願いでした。
東京大気汚染公害訴訟は、1996年5月、都内に住む気管支ぜん息などの患者が、大気汚染による健康被害の損害賠償等を求め、国、東京都、旧首都高速道路公団と主要自動車メーカーを相手取って提起した訴訟です。大気汚染というと工場排気ガスを思い浮かべる人が多いと思いますが、東京には大規模な工場地帯はほとんどなく、汚染原因のメインは自動車排気ガス(特にディーゼル排ガス)です。そこで、全国ではじめて、自動車メーカーを相手に裁判を起こしたのです。
原告が特に強く望んだのは、医療費救済制度の創設です。公害患者の医療費等の補助を規定した公害被害健康補償法が、1988年に新規認定が打ち切られてしまったからです。ぜん息患者は仕事も満足に出来ず、収入が不安定だったり生活保護を受けたりしている人も多いので、医療費の負担を考えて通院を差し控え、さらに悪化してしまう人も少なくありません。「せめて、安心して医療を受けられるようにしてほしい」・・・法廷で、国や東京都の役人の前で、被告自動車メーカー本社前で、原告は薬や吸入器を片手に、必死で訴え続けました。
2002年10月29日の東京地裁第一次判決では、自動車メーカーの損害賠償は認められず、国・東京都・旧道路公団も、一部の責任しか認められませんでした。
しかし、原告の必死の運動に動かされ、都は、石原都知事がペットボトルを振ってディーゼル規制を進め、さらに、初めは「国がやるべき」と言っていた医療費助成制度の創設に意欲を示しました。自動車メーカーも早期解決に向けて重い腰を上げました。
2006年9月28日、東京高裁は結審に当り、和解による解決の道を探るよう勧告しました。協議は長期化しましたが、2007年6月22日、東京高裁が和解骨子を示して和解勧告をし、8月8日、ついに全面和解にこぎつけました。原告633名のうち、すでに120名以上が帰らぬ人となっていました。
和解内容は@都、国、自動車メーカー、旧道路公団の費用負担による、都内在住のぜん息患者に対する医療費助成制度の創設、A国が中心となって行う公害対策、B自動車メーカーによる12億円の解決金の支払いです。
とりわけ@は、原告の長年の悲願でしたし、裁判上の和解でこのような医療費制度を実現することは非常に画期的なことです。これで都内で数十万人ともいわれているぜん息患者が自己負担なしで、安心して医療を受けられるようになるのです。
この裁判は、自動車排ガスの大気汚染問題を広く世に提起したもので、原告らの個人的な利益のためのみになされたと矮小化すべきではなく、その社会的意味を軽視すべきではない―――これは、今年6月の高裁の和解勧告のときの裁判長の言葉です。
この裁判により、東京の大気汚染に関する対策は少しずつ進んできました。しかし、これで本当に全て終わったわけではありません。医療費救済制度の創設・運用、効果的な公害対策の継続など、課題は山積みです。本当に東京にきれいな青空が戻るまで、原告の、都民の戦いは続きます。
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