2004年 夏季号 <Vol.37>

■歴史の狭間で

 50年誌の発刊と記念レセプションを終えて1ヵ月余、改めて歴史の重みを実感している。帝国ホテル孔雀の間に溢れんばかりに集まってくださった約1,300人の方々と、そして当日はご出席して戴けなかったもっともっと多くの方々が、先輩や旧・現所員と一緒になって、旬報法律事務所の歴史の一齣一齣を築いてくださったのだ。故人となってしまわれた方々も多い。万感胸に迫る。
 労働者の権利擁護や軍事基地反対の旗を掲げてわが事務所が誕生したことや、これを引き継いだ所員が、それぞれの時代の様々な課題に取り組んできた意気込みや苦労話を、しかし爽やかに年誌は語っている。
 50年を経た今日、働く人々はリストラという名の首切りの不安にさらされ、自衛隊はイラクヘ出動している。この間、歴史は動かなかったというのか。
 ある来賓は「100周年をめざして欲しい」と祝辞を結ばれた。実行委員長は「わが事務所は不滅」と決意表明。皆さんと一緒に、未来に向けて歴史の歯車を回転させましょう。
仲田 晋

■記念行事を終えて

 50周年記念事業を無事終えることができほっと一息。多くの関係各位のご支援ご参加、感謝の極み。半世紀の活動の歴史の重みをずっしり感じる。今回の記念事業の成功が、若い所員諸君に大きな自信となったと密かに喜んでいる次第。我が家では専らこの50年を振返り彼れ此れ憶出を語り合っている。軍事基地、安保、警職法等の闘争、常時発生する労働争議、刑事事件ヘの対応等々、労働弁護士の少ない50年から70年代は正に東奔西走の毎日。金の事を忘れ、日本の平和と民主主義、大衆の為にという思いだけで働き通してきた若い頃の憶出は夫婦にとっても語りつくせない憶い出。時代がそうさせたことは事実。その一方、家族を犠牲にさせたことも事実。今なら離婚だといわれるとうう一んという他ない。打合せ場所もない時代、我が家は争議団の事務所であり、無料食堂。彼らは金を払う所か逆に大勢が来ての食事、時には酒、中にはよく宿るので浴衣、どてらまで作らせた者もいる。老妻は、今でもその話に触れ、お礼を言われると無性に嬉しいらしい。今回のスライドをみて思わず泣けたというのも嘘ではなかろう。
 戦争の悲惨さをとことんみて育った我々は、戦後日本の平和と独立、民主主義の為に全てを投げ出す決意で労働弁護士として純粋且つ縦横無尽に闘ったことを、今でも誇りに思う。だが今は違う。一国の支配体制下に完全にマスコミも自由に物を語れず権カの顔色を窺い追随するのみ。儲けることのみ尊く貧は自己責任、福祉政策は金の無駄遣い視する風潮が目立つ。その一方で軍事大国への道はどんどん進む。往時を懐かしむ閑はない。再度熱気溢れる運動を構築すべき時と思うことしきり。
久保田 昭夫

■50周年記念事業を終えての感想

 旬報法律事務所創立50周年記念事業は、帝国ホテルにおける5月29日に開催された記念レセプションの施行(参加者約1,300名)によって無事終了しました。事務所の50周年記念事業実行委員会の責任者(実行委員長)として感無量のものがあります。
 思えば、事務所の50周年記念事業を企画し、討議を開始したのは約2年前のことでした。記念事業の柱として、事務所の「50年史」をまとめて出版することと「記念レセプション」を開催しようということが早い段階で決まりました。そして、その後、50年史についての全体の構想・執筆者の確定、年表の作成、座談会の開催と原稿化、原稿の執筆と校正、原稿の催促等をしながら、完成に向けて努カをしてきました。一時は完成が危ぶまれた時期もありましたが、編集責任者の徳住弁護士らの努カにより、5月21日に「旬報法律事務所の半世紀」と題する50年史を無事完成させることができました。読者の方々には、おひまな折に是非一読して頂ければ幸いです。
 また、「記念レセプション」の中身も、サクスフォーンカルテットの演奏と、事務所の若手弁護士の作成によるスライドの上映を柱に組み立て、ご参加頂いた皆様からの好評のうちに終了することができました。本年は、私自身にとっても、弁護士生活35年の年に当りますが、目分のこれまでの弁護士活動を振り返り、私達の事務所を長年にわたって支えて下さった多くの方々に心から「有難うございました」と感謝の言葉をささげる次第です。
清水 洋二

■事務所史「旬報事務所の半世紀」の刊行

 これまで事務所には事務所史は一切存在しませんでした。何回か出版を試みましたが、いずれも失敗に帰しています。いきなり50年分の歴史を纏めるのは、冒険に近いものがありました。故舎川昭三弁護士が纏められた「旬報事務所19年誌」の年表を下敷きにして、年表作成に全カをあげました。年表を基に、寄稿や座談会で肉付していきました。
 労働弁護士がどのような志をもって誕生したのか、という労働弁護士誕生の史実的再現が1つのテーマでした。公害や人権・民主主義・環境・国際連帯などへの取り組みも、弁護士群像の生き様を表現することに留意しました。砂川基地闘争の際、久保田弁護士がシャツを破られて1人で写っている以外は、個人の写真は掲載しませんでした。多くの先輩弁護士や関係者からの寄稿も、事務所に愛着が溢れるもので、編集していて楽しくなりました。是非多くの人に読んでもらいたいものです。
徳住 堅治
1945.5
労働旬報法律事務所の誕生
 港区芝田村町(現・西新橋)の労働法律旬報社の一角に事務所を設立。日本で最初の労働弁護士の共同事務所として誕生した。創立者は東城守一、鈴木紀男、鎌形寛之、増永忍の4弁護士。
1954.6
ほとんどが民間労組事件
 組合活動が活発にあったこのころ、全国金属、全国一般、全印総連などの中小の民間労組事件が多かった。労働組合を結成すると同時にストライキ宣言をして闘争に入るので、弁護士は多忙を極めた。弁護士が労働者の相談相手となり、事件を一緒に闘うというパターンがこの時代からは大変多かったといえる。
1955.5
砂川基地闘争
 5月4日、政府の砂川米軍基地拡張の発表と同時に展開された闘いは、砂川町議会の「基地拡張絶対反対の緊急動議」満場一致の可決で町ぐるみの闘いとなった。久保田昭夫弁護士らが闘いに参加したが、このとき反対同盟の人たちは「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」の名文句を残した。1968年12月、政府は基地拡張計画の中止を発表。闘いは終わった。
1956〜
労働争議・公害薬害訴訟等で所員が大奮闘
 戦後も10年を経て民主主義が根付き始めたころ、利潤の迫求に走る企業と、働くものの権利を守る労働者、安全と健康を願う市民との闘いが全国的に展開された。1960年の三井三池鉱山の争議以降、日産プリンスの闘い、イタイイタイ病、スモン(キノホルム薬害)、HIV感染被害(薬害エイズ)、薬害ヤコブなど争議や訴訟にとびまわっている。

■すてきな仲間との出会いに感謝

 5月29日の当事務所創立50周年記念式典には、沢山の皆様が駆けつけてくださいまして、本当にありがとうございました。久しぶりにお会いできた方々と往事を懐古し、嬉々のひとときを過こすことができました。感謝しています。1974年に旬報に入ってからすばらしい仲間とめぐりあい、皆様とは友達となり、楽しく充実した30年でした。しかしこの国の政治は戦争する国づくりへ一直線。憲法9条まで改悪しようとしています。「道」の選択を誤らせないよう、私たちの宝である憲法を守りぬいていきましょう。
島田 修一

■あらためて知った先輩たちの偉大さ

 事務所の歴史について、先輩の弁護士から話を聞いていても「過去の話」程度の認識しかありませんでしたが、事務所の半世紀を綴った本を手にして、草創期からの事務所の歩みを実感することができました。その時代・時代を通じて様々な事件に取り組み、様々な人達と共に闘い、弱者の権利擁護のために尽くしてきたこと、それが現在の事務所の活動の幅の広さと活気ある雰囲気を作っているのだと思います。
 入所16年目を迎えた自分自身が、これまでどれだけの仕事ができたのかと考えると、気恥ずかしくなる思いもしますが、私が先輩弁護士たちから教えられ、今でも心に刻み、心がけているのは「現場に行き、現場に教えられる」という言葉です。先輩弁護士のこうした活動と思いが、レセプションに大勢の方がたにご参加頂いた原動カであり、今後の事務所の支えになると思います。
宮坂 浩

■人とのつながりの大切さを実感

 皆様いろいろご都合ある中で、わざわざお越しいただきありがとうございました。私のお客様に孫の運動会だったのをおしてレセプションにご参加くださった方もいらっしゃいました。感謝でいっぱいです。
 帝国ホテルで一番大きなホールを使いましたので、果たしてそんなにお越しいただけるのかと心配していましたが、そんな心配は全く無用でした!ホールを埋め尽くした皆さん一人ひとりのお顔を見ながら、これだけの方の人生に旬報法律事務所の弁護士が関わってきたのかと思うと、万感胸に迫りました。これからも人と人とのつながりを大切にしていく事務所でありたいと思います。今後ともどうかよろしくお願いします。
森 真子

1957〜
事務所旅行
 事務所旅行は発足の3年後、1957年の「富士五湖」を皮切りに2~3年おきに続けられている。所員の親睦を兼ねた旅行は、創立30周年に九州、35年は中国、45年に韓国など、節目には海外にも出かけた。
1972
スモン(キノホルム薬害)訴訟
 1971年に「全国スモンの会」の2名によって、東京地裁に第一次スモン訴訟が提訴された。1972年、当事務所の豊田、清水(洋)、鈴木の3弁護士がこの裁判にかかわり奮闘した。1986年11月、提訴以来15年を経て和解により全面解決した。
1973.4
事務所移転と事務所名称の変更
 事務所の取り扱う事件を労働事件から公害薬害被害者・消費者等へも拡大してきたため、事務所の名称を「労働旬報法律事務所」から現在の「旬報法律事務所」に変えたのがこの年の4月。5月に住み慣れた港区芝西久保巴町の事務所から現在の有楽町に移転した。
1986.7
事務所ニュース「JUNPOH」創刊
 所員と事務所の日常生活や活動を掲載して依頼者等に情報を提供する事務所ニュース「JUNPOH」は、年2回刊として登場。創刊号は4頁すべてがカラー印刷であった。発行当初のB4判4ページは、1995年夏年にB5判8ページに。現在のA4判8ページになったのは2000年夏号から。現在まで欠刊はなく36号を今年1月に発行した。

■皆様と出会えたよろこび、そして感謝

 振袖を脱ぎ捨て、まだ高い日の光を浴びた時、「ふーっ」と大きな息が出ました。無事終わって本当によかった…。カが抜けた瞬間でした。このプロジェクトには約1年半関わりました。当時入所3年目、旬報を何も知らない若輩者に何が出来るか。欲張って、歴史の一コマを共有した関係者の皆様に、50年の歩みと現メンバーの人となりを知っていただける、そういうパーティにしたいと考えました。そこで思いついたのがスライドでした。
 構想は既に頭の中に。ただどう実現するか。最近結婚式でやっているPCのパワーポイントを使おう。なんとかなるさ。それが悪夢の始まりで、パワーポイントってどうやるの?!佐々木君に手伝ってもらおう。それが新たな被害者?を増やす結果となりました。シナリオ、写真の収集、昔楽の選曲もあり、さらに森真子弁護士を巻き込みました。通常業務をやりつつ、まずは50年の歴史の勉強からスタート。ときには直接話を聞き、取立て屋のように写真を集め、昔楽は終電帰りツタヤに通う日々。プレッシャーもあって体調を崩しつつスライドが完成したのは何と前日でした。
 そして当日。ものもらいが出来るまでに追い詰められながら凝りに凝った佐々木君の素晴らしい画像。それに昔楽とコメントが相俟って、皆様から大きな拍手をもらったとき、感無量で涙が出ました。最後に何より皆様に伝えたかったこと。それは、皆様に出会えてよかったという感謝の気持ちでした。多くの方々にお越しいただき誠にありがとうございました。
圷 由美子

■労作の好評が何より ―50周年スライド制作―

 5月29日に開催された当事務所50周年記念レセプションにおいてスライドが上映されました。おかげさまで参加された方からたくさんのご好評をいただき、スライド作成班の一員として、大変うれしく思いました。このスライド、当初はただ写真を普通に入れ替えてナレーションを入れるというものでした。しかし、スライド作成班の圷由美子班長はこれを良しとせず、どうせならより感動的なスライドを見ていただこう、ということになりました。
 その後、圷班長と私とで色々試行錯誤を繰り返し、さらに途中から森真子弁護士を班に迎え入れ、スライドの構成、写真の選定などを夜遅くまで検討しました。時には、試作品を事務所会議で上映し、先輩たちからの批判の嵐に包まれることも…。が、「好きなように作るのだ!」と班で意思統一(?)し、どうにかギリギリ前日の完成にこぎつけたのです。色々苦労はありましたが、本番で好評を得られたことが何よりもうれしい出来事でした。
佐々木 亮

1995〜
「旬報法律セミナー」を実施
 事務所は、1995年1月に「旬報法律セミナー」を実施した。第1回目のテーマは「相続と遺言」。会場の有楽町マリオンには予想をはるかに上回る107名の参加者があった。毎年開催するこのセミナーは、2004年1月に100名を超える参加者を得て「借地・借家法」をテーマに第10回目を開催した。
1992.12
潜水艦なだしお事件で勝利判決
 1988年7月。横須賀沖合で潜水艦なだしおと、遊漁船第一富士丸が衝突して遊漁船が沈没した事件。第一富士丸船長の弁護団として当事務所から島田、大熊の弁護士が参加。1992年2月、主な責任はなだしおにあるとする判決を得た。この事件を通して海の交通ルールを無視する海上自衛隊の軍事優先意識が厳しく断罪された。
1996.12
富士見高原ゴルフ場住民訴訟
 全国的にゴルフ場の建設反対運動や訴訟が展開される中、この住民訴訟は先駆的な役割を果した。証人として立った3人の自然科学者の証言は、原告の主張する「地下水の汚染・減少、土石流等による災害の危険性」を立証した。提訴から7年、ゴルフ場の増設を事実上断念させる形で、「住民の全面的勝利と評すべき和解」が成立した。
2003.11
ソフトボール大会に初優勝
 毎年恒例の「自由法曹団東京支部ソフトボール大会」に参加した「旬報チーム」は、初戦は苦戦を強いられたが、2回戦、3回戦(準決勝)を余裕で勝利。決勝戦は完封こそ逃したものの見事な勝利で初優勝。所員の「仕事上手は遊び上手!」を証明した。

■憲法を守ろう

1.憲法「改正」が現実的な政治日程にのぼってきています。自民党は、党創立50周年になる来年11月までに憲法「改正」草案を策定するとして、今年6月、「改憲のための論点整理」を公表しました。民主党も現行憲法公布60周年となる2006年までに党独自の憲法「改正」案を発表するとしています。
2.憲法「改正」論者たちの合言葉は、「この国の形を変える」ということです。では、彼らはこの国をどのような形に変えようとしているのでしょうか。「いまの日本はあまりにも権利ばかり主張しすぎる」、「日本国憲法はあまりにも個人が優先」、「夫婦別姓がでてくるような日本になったことは大変情けない」、「国防の義務とか奉仕活動の義務を若い人に義務付けられるような国にしていかなければならない」。自民党憲法改正プ□ジェクトチームでの議論の一部です。そこで描かれているのは「権利より義務が重視される国」、「個人より国家が尊重される国」であり、その行き着くところは「戦争をする国」です。
3.自衛隊のイラク派兵、米軍支援法をはじめとする有事関連法の整備など、「戦争をする国」づくりは着々と進められています。今、私たちは「この国」をどうするのか選択を迫られています。憲法を変えて「個人より国家が優先し戦争をする国」にするのか、憲法を守って「平和の中で個人の自由と権利が生かされる国」にするのか。選ぶのは私たち自身です。
今村 幸次郎

■武富士残業代 請求訴訟の解決

 日本の消費者金融業界において売上げ・規模においてトップの会社である武富士が、従業員に対して残業代を支払っていなかったことから、昨年正月、労働基準監督署が強制捜査に着手し、社会的に大きな話題となった。先行した大阪での残業代請求訴訟で、昨年2月に和解が成立、武富士は一般従業員に対し過去分の残業代を一括して支払い、その総額は35億円にも上ると言われている。東京でも支店長経験者ら10名が、武富士に対し、総額8000万円を超える残業代請求訴訟を東京地裁に提起し、このほど請求金額の約8割の和解金を支払うことでこの事件が解決した。世間では、「管理職には残業代を支払わなくてもよい」という間違った風聞が流布しているが、支店長らに対して残業代を支払う義務があることが明白になった。わが国の企業社会では、違法残業が蔓延していて、残業代を支払わないばかりか、余りにも長時間の労働のため、命すらも危険にさらされている労働者が多いというのが実態である。過重な長時間労働を根絶しなければならない。
棗 一郎

■非常勤職員にも育休を!! 〜千葉手話通訳雇止日弁連勧告〜

 2003年の出生率1.29。この数字に大きな衝撃が走った。戦後初めて1.2台への落ち込みである。しかし、これは起こるべくして起こったこと、政府が少子化対策を怠ったつけが数字として現れただけの話である。
 今回この件につき、日弁連が国と干葉市に厳しい勧告を出している。
 申立人は、干葉市に「非常勤嘱託員」として雇用された手話通訳者である。「非常勤嘱託員」は、地方公務員の育児休業法でも、干葉市の育休条例でも対象外とされ、育休の保障がない。彼女は長女出産の際、育休の取得を求め、実質の育休に入ったが、途中契約期間満了となり、雇い止めとされた。
 我々の人権救済申立に対し、日弁連は今年3月、4年勤務し実質常勤として働く彼女に育休取得を認めないことは違法と断じ、国と干葉市に対し、法律、条例改正も含めた適切な措置を取るよう求める非常に優れた内容の勧告を出した。
 干葉市は4月28日、この勧告を受け、我々に対し、「次世代育成支援対策推進法」に基づく行動計画を来年3月までに策定する中で、非常勤職員の育休を盛り込むことを検討すると回答した。今までは全くの門前払い。若干の前進かもしれない。
 人や物を壊すよりも、未来の新たな命のための政策であってほしい。我々は自治省、総務省にも働きかけを行っている。今後も、働く女性のため、未来を担う子供を育てる環境整備のために、千葉市や政府の動向を厳しく見守っていきたい。
圷 由美子

■「痴漢冤罪の弁護」の出版

・いつもどおりの毎日が始まるはずだったのに、ラッシュアワーの通勤中に突然「逮捕」される。保釈されるまで何ヶ月も勾留され、そのうえ裁判で無罪となるまでは苦労の連続です。多くの無実の人々が職を矢うばかりか、刑務所に入れられています。これが本当にわが身や家族に起きた現実なのか。
・冤罪の原因のひとつに、物証(例えば死体や焼け跡、事故痕跡等)をよく検討することなく、ある状況証拠や供述によりかかって1つの方向に走り出す捜査のあり方があげられます。痴漢事件は痕跡が残らないかにみえますが、真犯人であれば繊維片が手に付着したはずです。デリケートな痕跡から正確な情報を読み取ることこそが、真相を明かすことであり、鑑識がしっかりしていれば、冤罪発生は初期で止められるはずです。ふつうの人は、一日会社を無断で休めば、くびになるのではないかと心配になります。勾留は立派な拷問であり、ウソの自白もさせられます。捜査官がつくる供述調書には、供述者が述べたことと、捜査官が述べたこととが混ざっています。そこを分けないと本来の供述がどのくらい現実を含んでいるか検討出来ません。しかし、あたかもすべてを供述者が語ったかのような形式がとられます。捜査上の問題に加え、裁判のあり方が特に問題です。もしも起訴された以上有罪だろうとふだんから考えている裁判官が、供述を直感的印象だけにもとづいて「信用できる」、「信用できない」などと判断すれば、サイコロを振るより危険ではないか。
・「全国痴漢冤罪弁護団」は、痴漢冤罪弁護の技術を述べ、集積された事例を分析し、なぜ誤った裁判がなされるのかその原因を探り、誤判防止のための提言をも致しました。刑事法学者、心理学者のご協力を得て、理論水準を上げました。9月末ころ出版予定です。
今村 核

■日の丸・君が代の意味するもの

 昨年10月、都教育委員会は、都立学校の教職員に対し、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務を課す通達を出しました。そしてその後の卒業式・入学式等で、これに従わなかった教職員200名以上を処分しました。
 表向きは教職員への強制ですが、事前に生徒に対する内心の白由の説明を禁ずる、式に都教委職員を派遣して監視する、不起立の生徒が多い高校の教師を注意・指導するなど、実質的に子ども達への強制であることは明白です。
 日の丸・君が代は、戦時中、天皇崇拝、国家総動員の象徴として利用されてきました。今再び両者への敬意を強制することは、最近高まっている憲法9条改憲論とともに、再び日本を戦争国家へ導くため、お上に逆らえない国民を作り出すための布石としか思えません。
 今年1月、教職員228名が立ち上がり、国歌斉唱義務の不存在等を確認する訴訟を起こしました(5月に117名追加提訴)。また不当処分に対する審査請求も行っています。憲法19条で絶対的に保証されている思想・良心の自由を守るため、そして10年後、20年後の子ども達を戦争の悲劇に巻き込まないためのこの訴訟の行方にご注目ください。
雪竹 奈緒

■どんどん活用しよう、労働審判制度

 労働審判制度が、ついに2006年から導入されることになった。
 労働審判制度は、@申立書のヒナ型の活用や手数料の低額化などにより申立が簡易・迅速で、A職業裁判官のほかに雇用の実情に精通した労・使の審判官が対等の立場で審理に参加し(国民の司法参加)、B原則として3回以内の期日で審理を迅速に終了し、C適正な審判(解決案)を示す、という制度である。
 年間二千数百件のわが国とは違い、ヨーロッパでは、年間数十万件(!)もの労働裁判が起こされている。これは、国民性の違いもあるが、何よりも労使関係をめぐる紛争を簡易・迅速かつ適正に処理していく特別の労働裁判所が設置され、労働者が気軽に自分の権利救済を求めていく「器」が作られていることが大きい。解雇・雇止めや給料不払・カットなど個別的な労働紛争が急増しながら、多くの労働者が泣き寝入りを強いられているわが国でも、こうした「器」の導入が待望されていた。
 私たちもこの労働審判制度を積極的に活用し、労働者の皆さんの迅速で適正な権利救済を、さらに進めていきたいと思う。
山内 一浩

■〜第10回JUNPOH法律セミナー開催〜「問答形式」をとり入れた新しいセミナー

 2004年1月31日、有楽町マリオンにおいて、毎年恒例のJUNPOH法律セミナーが開かれました。今年で10回目となります。今回は「借地・借家のやさしい法律」というテーマで開催されました。講師は我が事務所でもこの分野に特に明るい清水洋二弁護士でした。当日、会場は満員で、99人の方の参加がありました。
 今回は、いつものJUNPOH法律セミナーとやや趣向を変え、単なる講義形式ではなく、問答形式を導入しました。前半部では、借地借家の法律関係の基礎知識を清水弁護士がわかりやすく説明し、後半部では、雪竹奈緒弁護士が事例に基づいて質問し、清水弁護士がこれに答えるという形をとったのです。
 この後半部は、よくある事例を題材にしており、聞いていた参加者の方々の評判も上々でした。
 さて、私は、このJUNPOH法律セミナーに実は初参加でした。JUNPOH法律セミナーは、一般の方々に馴染みがあり、しかも役に立つ法律知識を提供しようというコンセプトで毎年開催されます。私も弁護士の端くれでしたが、すっかり清水弁護士の講義に聞き入ってしまいました。
 これを読んでいる皆様も、来年は是非JUNPOH法律セミナーにご参加ください。お待ちしています。
佐々木 亮

〜法律相談〜 逃げる債務者を許さず

 Q. 夫の浮気が原因で離婚しました。夫はサラリ一マンでまとまった慰謝料は払えないとして分割払になりました。これにわずかですが養育費の支払も約束させ、家庭裁判所で書類(調停調書)にしてもらいました。ところが、半年程前から支払が滞り、勤務先に電話をしたら、辞めてどこに行ったか判らないとのことでした。家庭裁判所から履行勧告をしてもらいましたが全く効果はありません。約束を守らせる方法はないでしょうか?

 

A. −財産開示制度ができました−
  判決や和解に基づく支払義務を誠実に果たさない輩は跡を断ちません。相手の具体的な財産を把めなければ差押もできず、権利者は泣き寝入り。これではあまりに不公正です。
 そこで今春から、このような輩に自己の財産目録を提出させる制度ができました。提出に応じない場台は過料の制裁が課されます。
 財産開示の申立をし、現在の勤務先を明らかにさせれば、給料の差押ができます。
 万が一悪質な取立てが来たら、ためらわず即座に警察に届け出を。私たちも相談に乗ります。
<差押のできる範囲>
給料の手取額の1/4(3/4が33万円を超えるときは33万円を超える部分全部)しか差押できません。
 しかし、養育費や婚姻費用についてはもっと保護されるべきなので1/2まで差押できることになりました。さらに、養育費等の不払いがあった場合には、将来の養育費等についても差押ができることになりました。
 従って、養育費については1/2を限度に、慰謝料については1/4を限度に差押ができます。詳しいことは弁護士に相談してください。

鴨田 哲郎

■事務所の50周年と闘病の記

 2004年は事務所の創立50年の年です。私も50年記念誌に、「全倉運と三井埠頭のことなど」を書きました。
 3月15日に税金の申告も済ませ、遅れていたもの等をやろうと思っていました。
 3月16日は、自由法曹団の司法問題の会議が開かれていました。会議終了頃に具合が悪くなり倒れました。事務所の島田幹事長もいたのでどこかに運んでくれたようですが、私の記憶はそこまでです。その後、都内の束京警察病院に入院していました。脳内出血で、22日には手術をし、とりあえずの措置をしました。
 4月19日、リ八ビリのために江戸川病院へ転院しました。東京の東では、言語療法等で最も優れた病院のようです。男性の場合は、左脳に出血し右半身が麻痺することが多いようですが、私の場合は左足も痛みが強いのです。昨年暮れ以来、健康診断で、左足の痺れなどを感じておりましたが、そのうちに本件が発生してしまったようです。
 5月29日には、事務所の創立50周年レセプションが開かれ、妻の付き添いのもと、漸く出席できました。
 おかげ様で大分元気になりました。これからもよろしくお願いします。
岡田 克彦

■ぶらりらくちょう − 「老舗」が消えていく

 有楽町からちょっと足をのばせば銀座だ。“ぶらりらくちょう”の守備範囲をそこまで広げて考えたい。有楽町・銀座界隈を徘徊していて、ここ数年来目立つことは、もともと浮き沈みの激しい新興の店が少なくない中で、確固とした地位を保っていた筈の老舗さえもが、ついに廃業を余儀なくされ消えていく例が増えてきたことだ。当然のことではあるが、ここ“らくちょう”でも長引く不況の影響から逃れることはできないのだ。永続するかに見えた老舗が消える。それだけ不況は深刻だということだ。老舖が消えると、その建物の風情や雰囲気を不可欠の要素として組み込んでいた街角の景観がガラリと変わってしまう。だから一方で、不況の嵐の中にあっても頑張っている古くからの店を見つけるとホット安心する。ところで先生はどうやって散歩の時間を作るんですか、いやいつ仕事をするんですか、なんて聞かれないようにしよう。
大熊 政一

■所属弁護士退所のお知らせ

石井麦生弁護士(95年4月入所)が、3月末で事務所を退所されました。4月1日から、文京区大塚の「すずかけ法律事務所」に所属しています。

1歳の息子は私に気持ちを伝えようと私の目を見て一生懸命おしゃべりをしてくれます。今は、メールやインターネット上での会話が多くなっています。それだけでは少し寂しいような気がします。これからも、今のように目を見ながら会話のできる親子関係でいられたらと思います。(田場)
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